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日本語に主語は存在しない?「象は鼻が長い」という文章の謎

こんにちは。輪切りです。

今日は最近見て面白いと思った動画の紹介記事です。


ゆる言語学ラジオというチャンネルの動画で、名古屋大学文学部で言語学を専攻していた動画主が、日本語学者が長い間戦うあるミステリーについて説明してくれている動画になります。


かなりかいつまんで説明している上に面白いところを色々と端折ってしまっているので、ぜひぜひ元動画をご覧ください。(前後編で1時間ほどあるので、1.5倍速くらいで見てもいいかもしれません)

『象は鼻が長い』の主語って?

突然ですが、「『象は大きい』の主語ってなんですか?」と聞かれたら皆さんは何と答えますか?
おそらく100人中102人が「象」と答えると思います。

では、「『象は鼻が長い』の主語ってなんですか?」と聞かれたら皆さんは何と答えますか?
「象」でしょうか?「鼻」でしょうか?

直感的には「象」な気もしますが、でも『象の鼻が長い』とも言い換えられる文章だしなあ・・・となるとやっぱり「鼻」か?でも『象 is 鼻長い』的に解釈するならやっぱり「象か?」(以下無限ループ)

実はこの『象は鼻が長い』という文章は、日本語学をやっていた人では知らない人がいない、「主語どっちだ論争」を巻き起こしている有名な文章らしいのです。プロの中でも未だに決着がついていないらしいので、我々どアマがいくら考えてもわかるわけないですね。(じゃあ最初っから聞くな)

『僕はうなぎだ』『こんにゃくは太らない』はどうか?

飲食店で注文を聞かれ、「僕はうなぎだ」と答える友人。
「あ~あいつってうなぎだったんだ。確かに残業中とかテカテカしてるもんな。天然かな?養殖かな?」と彼の出自を気にする人はいないですよね。
「僕はうなぎを食べます」という意味であると100人中104人が理解します。

でも、「僕はうなぎだ」って言ってますよ?「僕」が主語で「うなぎだ」が述語ですよね。
Googleで英語翻訳かけたらこうなりますよ?

「こんにゃくは太らない」
残業中にこんにゃく畑を山のように頬張る先輩OLが、マンナンライフのわがままボディに言い聞かせるか如く、ぽつりと呟きます。

これを聞いて「そうなんだ。言われてみればゼミで一緒だったあのこんにゃくもよく食べる割に痩せてたな。やっぱ体質かな。」とは断じてならないですよね。

太らないのは人間であり、「(人間は)こんにゃくを食べても太らない」という意味であることは100人中107人が理解できます。
でも主語?であるはずの「人間」がどこにも出てきませんね。どんな文章にも主語と述語があると習ったはずですが、この文章の主語こんにゃくなんでしょうか・・・

天下のGoogle先生に翻訳してもらうとこうなります。まあ、消去法でこんにゃくを主語にせざるをえないですが・・違和感ありまくりです。

ここで有権者の皆さんにお伝えしたいのは、冒頭の『象は鼻が長い』に『僕はうなぎだ』と『こんにゃくは太らない』を加えた3つこそ、日本人が知るべき新・三大「言語学会に論争を巻き起こした文章」なのです(Cv.ナイツ塙)

今の皆さんと同じように、数多の言語学者たちもあ~でもないこ~でもないと頭を悩ませ、長年論争が続いているんですね。
動画内でも「結論は出ていない」としながらも、歴代の言説を年代順に紹介してくれています。詳しいことは動画を見ていただきたいのですが、「二重主語文」だの「生成文法」だの「分裂文説」だの、聞いてもいまいちピンとこない単語を用いて、動画主が「個人的に一番すごいと思う」と動画内で述べていて、僕もひじょ~に納得感があった「三上文法」を簡単に説明していきます。

実は全然違う「が」と「は」

先ほど主語は何ですか?と聞かれたとき、皆さんはどうやって主語を探しましたか?
おそらく「は」や「が」の前にある単語が主語になる前提で目を動かしたのではないでしょうか。

「が」も「は」も主語を表す助詞として一緒くたにされることが多いですが、実はその役割は全然違うんです。(この時点でピンと来ている人は相当「助詞力」が高いです。)

「が」は場所を表す「で」「に」や起点を表す「から」と同じ格助詞であるのに対し、「は」係り結びの「AこそBけれ」で用いられる「こそ」と同じ副助詞です。

なので「が」と「は」はそもそも文法的に役割が全然違うんですね。

それを踏まえて三上は「象は鼻が長い」の謎をスッキリと説明できる驚くべき考えを提唱します。
それが、

主語抹殺論

です。

主張① 日本語に「主語」はない。あるのは「主題」だ!

そもそも「主語」という概念はどこから日本にやってきたのか。それは単純に、欧米の言語学研究から概念を借りてきたに過ぎないのです。
動画内でも度々名前が挙がるチョムスキーという著名な学者が、「主語はどんな言語にもある」と述べたことから、日本の言語学研究においても主語という概念は疑われることなく受け入れらていました。

確かに英語には明確に主語がありますよね。皆さんも英語の授業で5文型ってやりましやよね。SVOとかSVCとか、どんな文章にも主語(Subject)がありました。

しかし三上はこの定説に疑問を持ちます。

「日本語に欧米の概念を持ち込むからわけのわからんことになるのでは?」

三上は「は」の効用を、単語を「主題(トピック)」という特権的な位置に押し上げるものである、と定義しました。これだけだとよくわからんぴょんなので、具体例として有名な小説の書き出しを見てみましょう。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめしたところでニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。・・・

『吾輩は猫である』夏目漱石

一文目の「吾輩」で「吾輩」が主題という特権的な位置に押し上げられました。
句点で区切られた2文目、3文目以降の文章でも、「吾輩」が主題として君臨しているのがわかるでしょうか。

「名前がない」のも「吾輩」ですし、「見当がつかぬ」のも吾輩ですし、「記憶している」のも「吾輩」です。
CR夏目漱石、怒涛の吾輩ラッシュです。

余談ですが、海外の方に日本語を教える際、「は」のことを「topic marker」と説明するそうです(動画コメント欄より)

主張② この世に文章は3パターンしかない!

主語がない、というのはかなり衝撃的な主張だったかと思いますが、『象は鼻が長い』の謎を完ぺきに解くために、三上の主張をもう一つ紹介しておきます。

三上は、日本語の文章には

  • 形容詞文 ex.「タカシが早かった」
  • 名詞文 ex.「タカシが犯人だ」
  • 動詞文 ex.「タカシが走っている」

の3つしかないと、考えました。


重要なのは、分類名の通りこれらの文章の主役は形容詞、名詞、動詞の方で、今まで主語(=主役)であると考えられていた「タカシが」の部分は、補語(要は、あってもなくてもいいもの)と結論づけたのです。

これも結構衝撃的はないでしょうか。

主役という肩書を突然反故(ほご)にされたタカシもびっくりしたでしょうね(爆)

三上文法で3つの文章をスッキリ説明!

さて長くなりましたが、ここまでの三上の主張(三上文法)を使うと、三大論争巻き起こし文章すべてに説明がつきます。

『こんにゃくは太らない』は「太らない」を主役とする「動詞文」です。
「こんにゃく」の部分は、今からこんにゃくについて話しますよ~、と主題を提示しているに過ぎません。「太らない」のは人間ですが、あってもなくてもいい補語なのでなくても問題ありません。至ってシンプル、主語を探そうとするからややこしくなるのです。

『僕はうなぎだ』は「うなぎだ」を主役とする「名詞文」です。
「僕」の部分は注文をとってもらう僕に注目してもらう主題の提示にすぎません。
省略前の文章は「僕が食べるのはうなぎだ」とかになるんでしょうが、「うなぎだ」の部分以外は全部補語なのであってもなくてもいいのです。

『象は鼻が長い』は「長い」を主役とする形容詞文です。
「象」は主題、「鼻が」は補語です。以上!シンプル!

↑いや、皆がうんうん頭を悩ませていた問題を、こんな綺麗に説明できるって凄くないですか?

主語という誰もが疑わなかった大前提に疑問を持ち、あろうことか「主語なんてない!」と存在ごと抹殺した三上さんの柔軟な考え方に感銘を受けました。
めちゃくちゃ複雑な円を何個も描いて天体の動きを何とかかんとか説明しようとする時代に、「いや、地球の方が動いてんじゃね?」とシンプルで美しい結論を発見したコペルニクスを彷彿とさせますね。

長々とお読みいただきありがとうございました。
繰り返しになりますが、面白い部分を端折ってしまっているので、是非動画を見てみてください。

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